リハのこの人 #1 今野敬貴

今野 敬貴 (こんの よしたか)

1967年北海道紋別郡遠軽町生まれ。
群馬大学医療技術短期大学部卒業後、自衛隊中央病院勤務を経て1996年より当院勤務、
在籍25年のミスターカミモク。趣味はワイン、渓流釣り、SNS。

この仕事を知ったきっかけは?

私は小さい頃から夢がなく、現実的な子供でした。
親が公務員だったせいもあるのでしょうか。
小学生の文集に「夢はサラリーマンです。」と堂々と書き、
担任から「直せ、子供らしい夢を書きなさい」と即断されました。
ですから、大学進学希望もなく普通高校に行きました。
親父から大学に行って欲しいと言われる中、高一の冬、何となくネクタイ絞めて歩き回るのは嫌だなと思うようになりました。
そんな時、北海道の広報誌にある札幌医科大学附属医療技術短期大学の記事が目に止まりました。
(病院か・・ネクタイもしなくて良さそうだし、公立の短大ならお金もあんましかかんなそうだし、いいんでないかい。)
そう思った私は少し調べることにしました。
進学の本を見てもさっぱり分かりません。
分かったのは理学療法士や作業療法士という国家資格があり、今注目されている職業だということでした。
目立ちたがりの気がある私はその言葉に弱く、これが良いかもと進路を決めました。
ところが、大学行く気がなかった高校一年生は終わりを迎えています。
勉強モードになれないままサッカー漬けの日々を送り浪人することになりました。
人に迷惑をかけたくないという思いは人一倍強く、親にも迷惑を掛けたくなかったので浪人は辛かったです。
その分勉強は頑張りました。
結局はどんな仕事かも知らないまま、スポーツトレーナーのような仕事だという認識で大学を受験したというのが実情です。
運よく、入学後にはスポーツ選手に関わっている先生がいたので、夢が広がりました。

就職してスポーツに関われましたか?

はじめに勤めた自衛隊中央病院では、ほぼ全員スポーツマンでした。
現役自衛官ですので。
自衛隊には体育学校という施設があり、アマチュアレスリングやアマチュアボクシング、重量挙げ、アーチェリー等はオリンピックメダリストも多いので皆さんもご存じでしょう。
その方達に関わろうと努力しましたが困難でした。
東京の水には合わず6年で、群馬に戻るか北海道に帰るかの選択に迷いました。
最終的な決めては、スポーツ選手のリハビリができる職場を選びました。
それがここ上牧温泉病院です。
今では想像し難いですが、当時はリハビリ室の70%を若いスポーツマンが占めていました。大学や高校生はみんな全国上位レベル、バレー・バスケット・アメフト・柔道などの実業団選手、プロ野球・プロテニス・プロレスラー・相撲と、たくさんの選手と時間を過ごしました。大変でしたが夢が叶った時でもありました。
当時は西武ライオンズのチームドクターと、巨人軍・日本テニス協会・相撲協会のチームドクターが非常勤で勤務していました。
それはそれは、厳しくも勉強になりました。
各競技がプロ化し、チーム内でリハビリができる体制が整い、上牧にトップ選手が入院することはなくなりました。
しかし、そこで培った「結果にこだわるリハビリ」は、今なお継続して取り組んでいるつもりです。  

今の仕事を他の仕事に例えるなら?

若い頃は教師に近いと感じていました。
運動を指導したり、生活方法を指導・提案したり、手とり足とり優しく教えるのは教師に似ていると感じたのです。
今はコンサルタントに近い気がします。
困っている点を解決するために情報を共有しプランを立てて、実行に移していく過程が似ていると思います。

今後の夢や目標は ありますか?

リハビリ職と外界との接点を増やしたい。
職域を広げるというイメージではなく、自分たちが医療や福祉以外の世界とどのように関われるのか、またどんな活躍ができるのかを見てみたいと思っています。
まずは未病者の健康相談からはじめてみたいと思います。
学校に通う子供達、部活を頑張る子供達、仕事に汗を出す労働者を対象に、私たちができる健康に関する相談事業を立ち上げたいと考えています。

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