私がここに勤める以前は自衛隊中央病院という東京の病院に勤めていました。
建物はボロでしたが、内容の充実した素晴らしい病院です。
自衛隊の中にも防衛衛生学会という医療系の学会があり、その参加希望を提出しました。
場所は故郷である北海道だったのです。
序列がありますので最初から諦めていましたが、なぜか許可がおりました。
学会とはいえ出張で帰省できる喜びは言葉で表せないほどです。
出発前に総務の方から切符を渡されました。そうです切符。
何かの間違えではないか。ここは東京。行き先は札幌。飛行機ではなく、JR??
「班長、切符をもらったのですが飛行機ではないのですか?」
「あ、そう・・輸送機よりいいかもね」
(輸送機とは自衛隊の荷物を運ぶ専用の飛行機らしく荷物と一緒に箱のような椅子に座って乗るそうです。エンジン音や風切り音がうるさくて話をすることもままならないそうです。)
「そうか、遠くてもJRで行ける所はJRだっけかな、忘れちゃった・・」
そこで合点。…ああ、誰も長時間の電車移動なんてしたくないから希望者がいなかったのか。
「あ、今野技官。断れないからね。」
念を押された私は、すぐに時刻表を買いに行きました。
絶望の約12時間・・一人旅で12時間を費やすにはどうしたら良いのか。
スマホどころか携帯のない時代。
用意したのは10枚のCDとCDウォークマン、そして大量の単三電池。雑誌2冊。
どう考えてもこれで時間を潰すことは出来ない。
と思いながら東京駅の売店をうろつき、小さい本屋の前に平積みになっている一冊を手に取った。
「新宿鮫」
大袈裟な紹介文に推薦の文章。そういえば映画化されるらしいことぐらいは知っていた。
全く本を読まない私にとっては大冒険のつもりでレジに持っていった。
仙台までの新幹線ですら時間を持て余した。
仕方なく小説を手に取りページをめくっていった。
一枚、二枚と、作者の描写力のおかげで読み進めた。
「あれ、おもしろい・・」
手と目が休む暇もなく活字を送る。
仙台からの在来線の景色はほとんど見ることなく青森に到着。
乗り換えの時も次の展開が気になって仕方ない。
そして北海道の長万部(おしゃまんべ)辺りで完読。
札幌まであと2時間半。
旅の疲れより一冊の小説を1日で読み終えてしまった自分に驚き、
小説の楽しさを享受した喜びを味わいながらうとうとしていると着いてしまった。
あっという間の12時間。苦痛をワクワクに変えてくれたのは一冊の本でした。
[苦あれば楽(しみ)あり]
帰り用の一冊を買うことだけを考えながら電車を降りました。